レトロフューチャーと、想像とは違う現実
レトロフューチャーという言葉があります。
retro(懐古)でありfuture(未来)でもある不思議な組み合わせの言葉。
1900年代初期、科学技術がますます発展する中「未来の世界はこうなるのではないか?」と当時の人達が思い描いた、願望を含めた近未来の世界の想像図がありました。
それは近未来も近未来、まさに私達が生きる2000年代の想像図が多いように感じます。
そこに描かれる”未来の世界”は
- 街中を縦横無尽に横断する謎のコース
- 空を飛ぶ車や透明のチューブの中を走る車
- まるでUFOみたいな空飛ぶ物体
- ロボットと人間が当たり前に共存
- 当然のように宇宙旅行も可能
- 皆全身タイツ(?)の奇抜なファッション
とざっとまぁこのような世界でしょうか。
現在の私達が目にすると「いやいやいや。。」と感じてしまいがちな想像図です。
実現しているモノ、しなかったモノ
私達が当たり前のように使用しているパソコンや携帯電話などのような想像を超えたであろう勢いで発達したものもある中で、超音速旅客機(コンコルド)といった一度は実現はしたものの運用面でのデメリットが大きすぎた為に既に廃止されたもの、空飛ぶ車のような実現は可能(とのことです)だが実現したところで実用性の低さからなかなか実現と浸透の可能性が無い技術などもあり、レトロフューチャーに見る世界はやっぱり「空想上の世界」の域を出ない状況なのかなとは思います。
結局のところ、「懐古主義的な未来」の図なのです。
今現在実際には見られない世界だからこそ、憧れに似た郷愁と新鮮さがありますね。
まだ見ぬ革新的技術の為に
しかし、更に技術が進むであろう未来では空飛ぶ車が大ヒットしたり、ロボットが人間のように暮らしたり、気軽に宇宙旅行に行ける世界も実現する可能性は無い訳ではないと思います。
これ以上はそうそう発展しないだろうと現在に生きる私達は感じてしまいますが、携帯電話や薄型テレビみたいに予想も出来ない進化をして当たり前のように定着していく技術は今後も必ず出てくる事でしょう。
Knocknoteでは”ワクワクするような新しい技術をもって未来を開発する人材”を育てる為に尽力していきます。